2007年2月13日火曜日

興隆山集福寺

集福寺延寿殿は昭和62年に健立され、この中には、石造地蔵菩薩坐像、(江戸末期江戸相撲で大関になった鬼来崎岩右衛門が、寄進したものと伝えられています)ぼけ封じの白寿観世音菩薩が祀られています。
薬師如来 集福寺
本尊は、温泉のお湯をお守りする薬師如来このお寺は、もともと越中の国(現在の富山県)砺波郡石坂村にありました。美濃の国(岐阜県南部)因幡城主、青山因幡守吉重が、天文2年(1533)菩提寺として創建した。そのご、慶長5年(1600)に石川県金沢市安江町に移され、寛永10年(1633)には、下馬坂(旧百々女木町)に移築され、それから、約260年後の明治28年(1895)9月12日に辰口温泉守り寺として当地に移築されたといわれております。本山(高野山)より”集福寺”という寺号を授けられ、興隆山集福寺、辰口温泉の守護寺として現在に至っています。北陸随一の石造坐像として、町重要文化財でもあります延命地蔵菩薩像も祀られております。当寺は北陸霊場めぐりでの13番札所で知られ、名前の福を集めるという縁起のよさから遠来の人気を集めています。ぼけ封じと健康や安全を祈願する白寿観音も祀られており、石仏地蔵尊とともに延寿殿に安置されております。2007/2/13(火)地図リンク


肝煎役(庄屋)の館、多川家

送信者 国登録有形文化財、多川家
送信者 国登録有形文化財、多川家
加賀藩千石預かり、肝煎役(庄屋)の館、寛永年間から明治期にかけて肝煎役をつとめた、多川家。肝煎役としての権威と豪農の形態をなしており、「奥書院の間」「鏡戸大広間」に見ることができます。又土蔵内は伝えられる美術品、古文書、民俗資料の史料館になっています。

文化財指定庭園、兼六園

送信者 文化財指定庭園、兼六園
兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大庭園の特徴をそのまま今にのこしている。もともと兼六園は、金沢城の外郭として城に属した庭であった。庭としての歴史は、城に面した傾斜地が古い。慶長の初め(1600年ごろ)、二代藩主利長に招かれた明(中国)の儒学者王伯子が居住したのがこの傾斜地だという。また五代藩主綱紀は、1676(延宝4)年この地にあった作事所を廃し蓮池御亭を建て、その庭を蓮池庭と呼んでいた。これが本年の始まりといわれている。